これはちょっと考察したことなんですが、なんだか書きたくなったので書いてみます。
なぜケニアはこうなのか、なぜ日本はこうなのか。
2つの国を知ると、お互い足らないものやお互いのいいところが見えてきたりして・・・
全てにおいてが下記の図みたいなわけではないけれど、これに近いものがあると感じます。
世界の中でも自殺が多い日本。それは何でかというと、友だち同士の助け合いや人間関係が希薄で、何でも自分で抱え込んでしまうからだと思うんですよね。
助けてほしいと言えない、助けようと手を差し伸べにくい
ケニアと比べると、日本は人と人との間で気軽に助け合えない感じがするような気がします。ケニアに行くと、本当に人のことを考えて温かい言葉を発することができる人が多いなと思います。
それとは別に、とにかく気軽にお願いしてくるケニア人というのもまた一つの問題です。
何か欲しいと思うものがあったら遠慮なく日本人に言ってくることがあり、ウィニーには「そんなもん期待すんな!自分で何とかしなさい!」とばりに言葉を投げつけ、どれだけ喧嘩したか分かりません(笑)
他の国際協力団体でも、こういった向こうが言ってくることに対して断ったりみたいな衝突はかなりあると予想します。
ケニア人がお願いしてくることもあるんですが、ウィニーが周りの困っているお母さんに、困った時には多く与えているという側面も少なからずあります。
自分の力で何とかしようとしない、友だちに頼る、困った時には助け合うというのは、その国民性が持つ、強さであり、弱さであるのかもしれません。
ケニアで洪水などの緊急時には、政府ではなくて、地域の人の間で助け合いがありました。もちろんケニアだけでなく、日本でも能登半島の震災でも、民間団体で炊き出しに行ったりすることはあります。
ですが、多くの人が、それは人々の間で全て何とかしようとするものではなく、最終的には行政が何とかすると思っているのではないでしょうか。
日本においてコロナで店が潰れようとしたときに大きく補助金を出したのは友達ではなく、行政でしたね。
「店が潰れるかと思ったら、友だちがこれだけ寄付してくれた!」なんて話は私は聞いたことありません。せいぜい利用してSNSで拡散して応援しようとするくらいです。
SNSで応援しようとする人も少なかった。私の知っている人ではコレンさんや美濃加茂市長さんは本当に頑張っていらっしゃいましたが。
むしろ友達からは補助金もらえてよかったじゃんと言われたり。
今政府を頼りにしていてはいけないという風潮がありますが、政府が頼れなくなった時に本当に助け合える友だちがいるかどうかは、私たち日本国民の課題のような気がします。
自分でやろうとしすぎて、自分で抱え込んで病気したり自殺するのも問題だし、人に頼ることで自立心が阻害されることも問題ですね。
自分は、自分でギリギリまで頑張っても難しいことに関しては、人に頼ろうと感じています。
私は今クラファンを行っていますが、この大きな損害に対する支援も、どうしても自分にはカバーしきれないものだと感じ、お願いしているところです。
お母さんたちが元気でいることは子どもたちも元気でいることに繋がります。引き続き応援して頂けると嬉しく思います。残り日数少ないので、シェアもとても嬉しいです!
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